8/26/2010

7-11な信号

DAETには信号が1つしかありません。

町の中心にある交差点に1つだけ。

しかも、24時間動いていない。


左の写真は上の写真とは別の日の朝7時半すぎに撮ったもの。
どの色の信号も点いていないのがわかりますか?

Daetの人たちは慣れているのか、交通量が一番多い朝の時間に信号が動いてなくたって、へっちゃら。
トライシクルも車も大してスピードを落とすことなく、勇敢に交差点に突っ込んでいきます。

このスリルのある光景を15分ほど立ち止まって見ていましたが、事故1つ起きませんでした!

にしても、信号が動いている時間が一定ではないのは、もしかしたら手動でスイッチを入れているのかも?フィリピンなら十分あり得る話です。

すいかの収穫

私の活動する農村ですいかの収穫が始まりました。
太陽が照りつける中、バケツリレー方式で収穫が行われます。







トラックに積まれたスイカはこの日のうちにマニラまで運ばれます。

1台のトラックの荷台いっぱいで5,000kg前後、45,000ペソ(9万円)で売られました。

このスイカがマニラの店頭に並ぶと、1kgで50ペソで売られます。
5,000kgのスイカを売り切るとすると、250,000ペソ(50万円)の売り上げ。

トラックに載せられてから店頭に並ぶまでの間に恐らく何人の仲買人がいるのでしょう。
仲買人の存在は、フィリピンで農業に携わる人々がいつまでたっても貧困に苦しんでいる原因の1つと言われています。


ひびが入ったスイカや小さすぎるものは、近所の人におすそ分け。

10kgはありそうなこのスイカ。
小さなひびが入っていたので、早速みんなで昼食のデザートに食べました。

切ったら真っ赤のスイカは、ジューシーで、甘くて、種まで甘くて本当に美味しかった!

収穫のシーズンは朝昼晩、おやつ、いつでもスイカを食べます。
ちなみに、食べ終わった後の皮は、ゴミ箱ではなく、そのまま外へポイッ。
(そもそもゴミ箱のようなものはなさそう)

そうすると、放し飼いにされている鶏やウズラがやってきて、残った赤い部分をつっつき、さらに残された部分は虫が食べ、さらに残ったものは、土へ返る。

家の周りがスイカの皮だらけになりますが、本来あるべき食物連鎖のサイクルが成り立っています。

練炭作りセミナー

Department of Agriculture(DA)が主催する練炭作りセミナーに参加しました。
Camarines Norte州のDAは、有機農業や環境に配慮した農業推進に積極的で、
誰でも参加できる無料のセミナーを月数回開催しています。

まずドラム缶を使って炭を作ります。
材料はココナッツの殻。
もちろん、木の枝や竹などでもOK.
ココナッツや竹はフィリピンではいたるところに生えているので、材料は簡単に手に入ります。




ドラム缶の一番下から火をつけて、蓋をして待つことおよそ3時間。
ココナッツの殻の炭が出来上がります。









粉にした炭とでんぷんと水を混ぜ合わせ







型に入れて固めたら、できあがり。








Daet周辺ではまだ多くの人が薪を使って料理をします。
ガスもありますが、もちろん薪に比べたら非常に高い。

薪集めは身体的負担もかかるし、完全に乾燥するまでに時間もかかります。
火力のコントロールが難しく、煙も出るので目も痛い。

一方、炭は軽量で持ち運びが簡単で、さらに火力も薪より強く、炎が出ないので煙が少ない。
また炭の方が薪よりも環境にやさしいと、DAも炭の利用を勧めていました。

練炭は1kgで15ペソ(30円)~45ペソ(90円)ぐらいで売られています。
簡単に入手可能な資源を活用して、農業以外の収入源にもなります。




8/16/2010

私のアパート

こんな家に住んでいます。

まず1階の玄関を開けると居間スペースがあります。
フィリピンの家庭でよく使われている竹製の家具を買いました。
見かけはよいのですが、座り心地も使い心地も悪い!

さらには、使い始めてから1ヶ月ぐらいして、家具に点々と竹の粉の塊が現れるようになりました。
竹を好む虫が中に住み始め、毎日せっせと竹を掘っているようです。

朝になると所々雪のように積もっているので毎朝掃除が欠かせません。
いつの日か座った途端に崩れるのでは、と心配です。

居間の奥にはキッチンがあります。
冷蔵庫の上に載っているのは飲料用のディスペンサーです。
フィリピンには浄化された水を売る店があり、空になると新しいタンクを配達してくれます。
1タンク5ガロン(20ℓ弱)で、30ペソ(60円)です。

蓋付きの黒いバケツには、コンポストにするため野菜くずを入れています。
いっぱいになると、アパートから徒歩5分ほどの大家さんの畑に持っていき
コンポスト用の穴に入れます。


トイレとシャワーです。
スペースは1畳ほど。
ホースとシャワーヘッドを組みあせたお手製のシャワーは水圧の強い夜しか使えません。
朝はほとんど水圧がないので、緑のポリバケツに溜めた水を右上にある桶をつかって水浴び式で浴びます。

トイレは便座がないので、中腰で。

2階へ上がる階段
ベッドルームです。
天井から吊るしている青いものはJICAから支給された蚊帳。
この網には殺虫成分が含まれていると説明書にありましたが、
未だかつて捕まった蚊をみたことはありません。
デングにもなったし。。。

2階にはもうひとつ部屋があり、洋服と荷物置きに使っています。

大家さんの家が右隣、大家さんの息子のアパートが左にあるので、
困ったときにはいつでも助けてもらっています。

外は野良なのか放し飼いなのかわからない犬と鶏が常に何匹かいます。
玄関前には餌をやっているわけでもないのに、野良猫がなつくようになりました。

親切な人々、そして動物に囲まれたここでの生活にも
最近は大分慣れてきました。






8/11/2010

マラソン大会

マニラを発つ2日前にマラソン大会があり、協力隊の友達の応援に行きました。
一番初めの21Km組は、まだ日も昇っていない5:10amにスタート。

なんともフィリピンらしくて笑えたのは、スタートに全力疾走で10mぐらいすると一気にスピードダウンする人がいたり、スタートから全くやる気なく歩いている人がいたり、携帯で話したりメールを送りながらスタートしていた人がいること。

さらには、自分がエントリーしている距離のスタート時間に遅刻して、1時間ぐらい遅れてスタートする参加者も沢山いました。

遅刻者に大変寛大なマラソン大会です。

2枚目の写真に注目。

大会のオフィシャルな撮影ですが、原付に2人乗り、同乗者は後ろ向き!
結構なスピードで走り去っていきました。
こんな危険を冒してまで撮影すべきなのかどうかかなり疑問です。

協力隊の友達は、それぞれの距離を無事完走!
一生懸命走っている姿、とても素敵だったよ。

みんなの姿に挑発されて、9月の末にNAGAであるマラソン大会にエントリーしました。
まずは足慣らしで10Km。
帰国前までには42Km挑戦するぞ。



8/09/2010

マニラ観光

退院してから1週間後の血液検査まで、JICAの寮にいました。

オリエンテーションでマニラに滞在していた時にはあまり
時間もなかったのですが、この機会にマニラ観光をしました。

ほとんど貸切状態のアヤラ博物館をほぼ1日かけて見学。









Greenbeltという高級ショッピングモールで、見るだけショッピング。
こんな素敵な中庭があります。









マニラに来て初めて日本食レストランでランチ。
『瀬里奈』という日本人の方がやっているレストランで、海鮮丼。
今まで食べた海鮮丼で間違いなくNo.1の海鮮丼!
350ペソ(700円)なり。









ちなみに、Daetでは一食分で50ペソ(100円)前後。
100ペソ(200円)を超えることはめったにないので、相当ご褒美的な食事です。

今回のマニラ生活で改めて感じたこと:
 ・マニラは空気が汚い
 ・マニラ、特にマカティでの生活は不便なこともなくまるで日本にいるよう
 ・マニラにいると甘やかされすぎて罪悪感に苛まれる

退院ディナー

メニュー:煮込みハンバーグ、とろろ、チャーハン、日本米(←スーパーで売られているお米の中で一番高い!)

退院した日に、バイクの研修でマニラに来ていた同期が夕食を作ってくれました。

このハンバーグの美味しいこと!

日本ではそこまで好んでハンバーグを食べることはなかったのですが、この日から好物の1つになりました。

きっと、みんなで食べたからこそ、さらにおいしく感じたんだろうな。

あっちゃん、ようちゃん、あんちゃん、どうもありがとうねー!

8/05/2010

病院の食事の例

朝御飯:(右から)紅茶、トースト2枚、目玉焼き、焼肉(みたいなもの)ご飯、トマト、パパイヤ、飲み物2種類

朝からトレー2枚分。
炭水化物2種類、焼肉まで出ちゃいます。







10時のおやつ:ソフトドリンク、ツナサンドイッチ2つ(写真半分食べた後)

まったくお腹がすいていないですが、出されたら食べます。







お昼御飯:マンゴー、スープ、ポテトサラダ(極甘)、御飯、フライドチキン、鱈と野菜の甘酢炒め


普段の1日分のカロリーを1食で摂取できます。






3時のおやつ:ビーフン炒め(写真取り忘れました)

夜御飯:サラダ、スパゲッティミートソース(極甘)、スイカ

「スパゲティーとサラダが食べたい」とリクエストしたところ、
この食事。

スパゲッティー、どう考えても砂糖入れすぎ!
さすがに一口でギブアップ。



確かに食事制限ありませんが、こんな食事毎日してたら、
病院で高血圧と糖尿病になれます。

8/04/2010

デング熱 その2

デング熱には効く薬がありません。

そのため、治療の内容は、生理食塩水の点滴と、解熱剤のみ。
ひたすら熱が下がるのを待ちます。

また、健康な人の血小板の値は20万~30万個らしいのですが、
デング熱になると血小板がどんどん少なくなります。
熱が下がった後でも血小板が下がり続け、私の場合は3万個までいきました。
お医者さんからは2万を切ったら輸血をするかもしれない、
と言われていたのでギリギリでした。

熱は6日間続き、血小板は8日目に回復の傾向が見られたので退院となりました。

この病院の中でも一番豪華な部屋にいたのですが、
20畳以上はあるだろうこんな部屋で、

一人は結構さびしい。
ですが、日本人会クリニックのお医者さんやJICAの調整員の方、
友達が毎日会いに来てくれて、
さらにたくさんのお見舞いをいただきました。
日本のジュースや果物、梅干、ふりかけ、ヨーグルト、
フィリピンでは珍しいシュークリーム、数独問題集まで!

本当に皆様に助けていただきました。
一人だったら絶対にデングを乗り切れなかったと思います。
どうもありがとうございました。

今はもう元気です。
この感謝の気持ちはこれからの2年間の活動で表せるように
頑張ります!

8/03/2010

デング熱 その1

デング熱にかかりました。

夜中に急に寒気がして、熱を測ったら38℃。
解熱剤を飲んでもほとんど下がらず。
次の日は、さらに上がって40℃以上!
頭の中で何かが暴れてるんじゃないか、
っていうぐらいの頭痛と、全身の関節痛もあって、
気ついたら「う”~、あ”~」と恐ろしい声で唸ってました。

その日、私がいつもお世話になっている農家の女の子に
熱がでて寝ていることを伝えると、「今からいくから!」と
わざわざ1時間近くかけて私のアパートまで来てくれました。

そして、彼女はお粥を作ったり、私のおでこを冷やすための
氷を用意したり、ほぼ徹夜で私の看病をしてくれました。

一人だったら、どんなに心細かっただろう。
彼女は「おじいちゃんがRikaのところに行ってって言ったから」と
言っていましたが、本当に一生懸命に看病してくれる彼女を見て、
感謝の気持ちでいっぱいになり思わず涙が出ました。

熱が出てから2日目の朝、マニラの病院に入院するため、
フラフラになりながら飛行機へ。

マニラの空港に着くと、JICAの職員の方が迎えに来てくれていて、
そのまま病院へ直行しました。

検温、問診、血液検査、点滴といろんな人が、いろんなことをしてくれて
あっという間に病室へ。

その2に続く。